17年1月号の『ソトコト』に蔵庭

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雑誌『ソトコト』(2017年1月号)に蔵庭が掲載されるという貴重な機会をいただきました。まさか表紙にしていただけるとは予想外の出来事でして、島根移住3年目の終盤、蔵庭オープン1年半を経過したこのタイミング、これまでの様々な方との出会いといただいた数々のサポートがひとつ実を結んだように思います。とても励みになりますし、嬉しくないはずがありません。

ものごとがカタチになるまでには7年かかる(7年周期)と言われますが、これまでの自分を振り返ってみるとたしかに7年スパンで変化してきているように思います。これからはフリーランスで好きなことを仕事にして生きていくと決め、2010年にトリガーとなるベジ&フォークというイベントを夫婦ではじめ、その後島根移住を計画し、妻の念願でもあった故郷でのベジカフェのオープン、確立してきた感のある自分のワークスタイル、描いている家族での暮らしを手に入れつつある現在までにゆうに7年かかっています。急いでものごとを進めたりすることもありますが、人工的ではない、自然の摂理や法則のようなものはたしかに存在しているように思います。

ソトコトのような価値ある媒体に取り上げられたこのタイミングが、実はまた新しい転換点のような気がしてなりません。冬季休業を利用して来月から丸々一ヶ月、東南アジアの国々を廻ってくる予定です。カフェの営業再開の春からは新しいスタッフが蔵庭に加わることが決まりました。来る2017年と新たにはじまる冒険に思いを馳せる毎日です。

「僕は一体何がしたいんだろう、何が好きで、何をすると充実したと思えるんだろう。」という思いがずっと頭を擡げ、それなりに楽しく過ごしつつも、憂鬱な毎日を送っていた30代前半は今思えば「絶対に戻りたくないあの日」であることは間違いありません。誰と遊んでも、気を紛らわすためにお金を使ってもおもしろいはずはなく、これからの自分の生き方について素直に向き合わざるを得なかったあの頃です。そういうターニングポイントは誰にでもあるのだと思います。

約6年前。行動することでしか自分と未来は変えられないことをいい加減自覚し、小さくてもいいから何か自分発信でやってみよう、自分で好きなことをやる道を探そう、それができなければこれからの30代と40代をエキサイティングに過ごせる道はないことを強く感じると同時に「本当に自分が好きなことを好きなように(仕事に)できたら、この憂鬱な日々から抜け出せるかも知れない。」そう思うと一気に世界が開けてきた感覚をおぼえました。人は希望が持てると元気になるものです。

考え方が変わり、行動が変わると人間関係や自分をとりまく環境も変わってきます。「なぜ東京にずっと住んでいるんだ?」と思ったときに妻の故郷が島根であることは十分過ぎる「移動する動機」になりました。決して東京が嫌いなわけではありませんし、来年も新たに東京でやろうとしている仕事もあります。とはいえ、自分や家族、はたらき方、暮らし方の自由度を考えた時、東京でない場所で得られるものは決して小さなものではないことをなんとなく感じていました。島根は東京から距離的には若干遠いですが所詮国内。たいしたことではありません。3年経っても機材を積んでいまだに車で移動することもしばしばです。

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妻の故郷に活動の場所を見出したことは結果的に信用のフィルターにもなりました。「東京から来ました、戸田と申します。なぜ島根に来たかと言えば妻の実家がここだからです。この場所で自分たちで仕事をつくって暮らしていきたいと思っています。」と言えばひとまずは信用してもらえます。そこからは実績づくり(成果)が全てです。口はほどほどに、さっさと仕事でかたちを見せていくことが重要であることは言うまでもなく、なぜなら人は口ではなく行動と結果でしか評価してくれないからです。

2014年春には家を借り、イベントやカメラ、ウェブ、デザイン関連の仕事を頂戴しながら少しづつ江津(島根西部の石見地方)のまちに入っていきました。2015年夏に『蔵庭』をオープンし、お店の運営とともに、様々な仕事をしながら今日に至っています。東京と二拠点生活と言われますが、実際は8(島根):2(東京)くらいのバランスになってきています。

自分で仕事をするとはいえ、「あ!この方たちと一緒に仕事したい!」と素直に思える相手がいる地域にいるということは実はそれ自体がもの凄いモチベーションになります。なぜならそういった方々に「一緒に仕事をする」ようになることで一気に地域に入っていけますし、何よりそういう方々から仕事のオファーをいただけるようになるというのは本当にうれしいものです。今でもはっきりおぼえていますが、2014年初頭に島根でそう思える方々「5人」に出会いました。すでに島根で起業し、成果とともに名前のよく知られた方々。近い将来、この「5人」の方たちと必ず一緒に仕事ができるようになろう、絶対に。そう決めましたし、単純にいい短期目標になったんだと思います。それは江津移住を決めるきっかけのひとつにもなりました。

今年の夏までに、僕はこの「5人」の方たち全員と一緒に仕事をすることができました。ここでいう一緒に仕事をするということは「仕事として発注を受ける」ことです。必ずそうしたいと思っていることが、それがどんなに小さなことであっても達成感として積み重ねられるとそのまま自信につながるものです。慢心することなく、よりよいサービスを提供できるようにし、また「受注」したいと思っています。


人の魅力はそれぞれだと思いますが、自分の周波数と同域にいる人を見つけられると地方移住のハードルは一気に低くなるように思います。仕事のパートナーでもいいですし、友人でもいい。とにかくそういう人物がいることは大きな意味を持っています。いわゆる「移住したくなるまち」には必ずこういう人たちやコミュニティが存在しています。

最近、東京の大企業ではたらく友人に「これから地方は衰退するから大変そうだね。」と言われました。嫌味でなく言っているのはわかります。たしかにそうかも知れません。けれども僕からすれば衰退すると逆にチャンスが生まれる、と真剣に思っているわけです。「地方が大変っていう人がいればいるほど、僕にもチャンスが回ってくる。もっと言えばいい。笑」とすら思います。

明日いきなり地方都市がなくなるわけではなく、そこで生きていく人はたくさんいます。地方都市が抱える課題に対して指を咥えて見ているだけではなく、課題を解決するためには必ず誰かのスキルや人材が必要になります。そういうニーズを満たすことができる「個人」は地方都市でやっていくことができると当たり前に思いますし、地方都市で生きていくために必要なものは「自分が何が好きで、何がしたくて、何ができるか」をきちんと持てているか(あるいはそうなる自分をイメージできるか)どうかだと僕は考えています。

あらゆるジャンルで実は人が足りていません。求人情報だけ見てもおそらく魅力的な仕事は多くはないと思います。本当に面白い仕事は求人情報には載っていません。なぜなら自分にとって面白い仕事とは自分でポジティブに生み出すものだからです。サラリーマンだろうが自営業だろうが関係ありません。イマジネーションを駆使して生み出せるかどうかだけです。プレイヤーが足りないので自分で生み出すことができる人にとっては本当にブルーオーシャンで、できることをひたすら磨いていけば、その先は可能性に満ちていると心底思います。


3歳の息子は石見神楽(いわみかぐら)に夢中です。こんな自然が至るところにあるのも島根の魅力です。島根の海はどこへ行っても綺麗ですし、波乗りをするにも、渓谷でドローンを飛ばすにも、まず周囲に人がいないので、ルールをきちんと守れば本当に好き放題です。先のドローン映像はこの夏3日間かけて撮りに行きましたが、誰ともすれ違いません。このビーチ然りです(笑。

今年は自分でも近年まれに見るほど仕事をした気になっているので念願の東南アジア旅行に出かけてきます。相変わらず国外フライトが高い日本ですが、アジア内のLCCは驚くほど格安です。向こう10年のアジアの伸びしろについては説明不要ですが、数年前に東京から島根に感じた「おもしろそうな匂い」を東南アジアに感じています。これを機に冬季は南下して過ごしたいと考えています。心身ともにチューニングされているのでおそらく東南アジアで仕事をする日は近いと感じていますし、なによりそうすることによって島根生活がさらに面白くなる気がしています。

ソトコト編集長の指出さま、編集部のみなさま、取材に協力してくださったみなさま、どうもありがとうございました。(戸田耕一郎)