2025.11.24 Mon

Photo:Koichiro Toda
昨日(11/24)をもちまして蔵庭の営業が終了し、お知らせしましたとおり、これにて閉業となります。この数ヶ月間、たくさんの方がお越しくださり、今月に入ってからは数え切れないほどのお花やメッセージ、ギフトなどたくさん落手いたしました。心からみなさまに御礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。
みなさまからの「愛!」をたっぷり受け、とても、とても晴れやかで幸せな気分です。蔵庭をやってきてほんとうによかったと心から思っています。これまでともに働いたスタッフのみんなにとっても、ぼくたち家族にとっても人生に深く刻まれた特別な仕事となり、描いていた島根の暮らしそのものでした。
約10年前、蔵庭オープン直前に望さんと純子さんと僕で話していたときに「なにがあっても、大変でもとにかく7年目までがんばろう。」と言ったことを覚えています。
蔵庭の話題から少し逸れます。
7年の意味。これはオーストリアの思想家でシュタイナー教育の創始者であるルドルフ・シュタイナーが提唱した、人間の発達段階に関する考え方として広く知られているものですが、人生においては約7年ごとに節目が訪れ、その周期に合わせて身体、魂、精神の発達テーマが変わっていくということも語られています。僕はこれを「なにかを成就させる(形にする)には最低7年間はかかる」と捉えて、人生の指針のように心にいつもしまっています。
振り返れば、30代前半にVege&Fork Marketというオーガニックマルシェを立ち上げることから独立の活路を見出そうとすることも、島根に移住して蔵庭をはじめるのことも、自分が続けているあらゆるクリエイターワークでもすべて7年を節目に大きく転換してきました。仕事と暮らしの垣根がない(というかそんなことを考えたことがない)のは我が家のライフスタイルですが、毎度7-10年周期で変化しています。
そしてこのタイミングで「教育移住」という新しい風が吹いてきました。教育移住はもちろん明確な目的があるからこそですが、しかしこれまでの転換点を思えば、必然の変化でもあると冷静に思えています。妻は妻で感じていることはあると思いますが、僕自身は15年以上前から7年周期でものごとを見るクセが体内に刷り込まれていて自分のライフリズムそのものとなっています。狙っていないのになぜかそうなっていく。実に不思議なんです。
四十にして惑わずとは論語の教えですが、それでいうなら僕はまもなく「知命」を迎えます。天命を知るということ。 天から与えられた使命や運命を悟るということ。自分の人生が何のためにあり、何をなすべきかという、自己の存在意義や役割を深く理解する境地。いいですね、真正面から向き合いたいと思っています。かれこれ600年以上前の話で、今の時代、40代になっても50代になっても大いに悩むし、安定や安泰などあらゆる意味で得られない時代ですが、島根で暮らした10年は間違いなく「不惑」でしたので、きっと新天地へ行っても「知命」を感じながら日々生きていけるものだと思っています。
先ほど教育移住と言いましたが、僕自身は島根に残り(正確にはリアル二拠点生活)自分の仕事以外に江津のまちのためになることをやろうと思っています。今まで「江津のまちのために」という言葉は意識して絶対に使わないようにしてきたのは、そんなことを考えてもいないし、しようとも思っていなかったからです。いやいや、自分の幸せのためですよ、とはっきり言ってきたほどです。それがこれまでの10年間でした。
ここ数年間、自分の興味・関心ごとのひとつに教育事業があります。まずはドイツ発祥のイエナプランという教育のありかたや考え方と大きな構想(コンセプト)を学びはじめたこと、そこからはじまり公立小学校でPTA会長をつとめた1年、そしてアート・芸術・デザインの分野で数多の実績を誇る学校法人の学院長と一緒に仕事をする機会があったこと。ここ数年でこれらが一直線でつながり、この秋に江津の仕事仲間とともに教育事業に特化した一般社団法人『江津未来教育デザイン研究所』を設立するに至りました。
「知命」が自分にとってなにであるかをもし問われたならば、僕は「社会に貢献し、利他的に生きる準備を徐々にはじめていく」と答えるのかなと思っています。
なぜこんなことを書いているかというと、今年のはじめに出したあの内容をもう少し掘り下げたことをお伝えしたくなったからです。この1年だけでもとても多くの方が蔵庭のことをわざわざ気にかけてくださいました。それを思うと、少なくとも僕は家族で起きたことや今考えていることをある程度のことをお伝えしたいと思ったんです。聞かれてもいないのに。でも言いたい。妻とは何年にも渡ってこういうプロセスや考え方を常に共有して蔵庭を営業してきました。このまちで作られた食材を使った「食」で人との関わりを紡いできたというのであれば、次は僕がこのまちで生み出す「教育事業」で人との関わりを紡いでいきたい。そして今度は一人ではなく、仲間たちとともに事業を開発する。これが天から与えられた使命なのかもしれない、とそんな風に思っています。
家族の暮らしも新しい章がはじまります。また新しい気持ちでこのまちを見ています。次の10年を生きるのがとても楽しみです。
蔵庭を、ありがとうございました!
2025年11月吉日
蔵庭(合同会社Adot)
戸田 耕一郎

Photo:Koichiro Toda